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農薬は本当に必要?

農薬に関する法律、指導要綱、社会的役割などについて

「化学農薬」はいつ頃から使われるようになったのですか。

日本では大正時代(1920年代)に使用がはじまり、第二次世界大戦後(1950年代)から広く使われるようになりました。

ヨーロッパやアメリカでは1930年代から化学農薬の開発が始まりました。これは、第二次世界大戦を目前にして、天然の除虫菊(ピレスロイドを含む)やデリス根(ロテノンを含む)など、当時の農薬の原料となっていた資源をアフリカやアジアから輸送することが困難になったためといわれます。日本で化学農薬が本格的に使用されるようになったのは、第二次世界大戦後のことです。最初に使用されたのは、DDTや、BHCなどの有機塩素系殺虫剤でした。

使用も生産も限られていた戦前の農薬

殺虫剤分野では、1938年にスイスで強力な殺虫活性を有するDDTが、1941年から1942年にかけてはフランスとイギリスでBHCが、1944年にはドイツでパラチオンが発見されました。また、それ以外の分野では、1934年にアメリカでジチオカーバメート剤の殺菌活性が、1944年にはイギリスで2,4-PA(2,4-D)の除草活性が発見され、それに続くようにして、各種の化学農薬の開発が進みました。

日本では、1921年(大正10年)に貯蔵穀物害虫の駆除剤としてクロルピクリンがはじめて国産化され、ついで種子消毒剤として有機水銀剤が導入されました。しかし、当時の農薬の主流は、除虫菊、ボルドー液、塩素酸塩類などの天然物や無機化合物でした。また、農薬の用途も果樹や野菜の病害虫防除であり、イネの病害虫防除に適した薬剤はありませんでした。

戦後の食料難の解決に農薬が貢献

日本では、戦後1,000万人が餓死すると言われるほど、深刻な食料不足に陥りましたが、DDTを皮切りに、BHC、パラチオン、2,4-PAなど多くの化学農薬が導入され、食料不足を克服するのに、農薬は化学肥料とともに大きな役割を果たしました。その後も、新しい薬剤が次々に導入され、農薬は食料の安定生産や農作業の省力化に多大な貢献をしてきました。

欧米諸国でも、農業生産性の向上を目的に、農薬は目覚ましく普及し、使用量も著しく増加しました。しかし、1962年(昭和37年)、アメリカの海洋生物学者、レイチェル・カーソンの「Silent Spring(沈黙の春)」が刊行され、農薬による環境汚染問題に警鐘が鳴らされました。それ以後、農薬の毒性、残留性や使用法などについて検討が加えられ、見直しが行なわれました。

わが国でも、DDTやBHCなどの有機塩素系殺虫剤や有機水銀剤といった残留性の高い農薬については、行政による規制あるいは企業側の自主的な対応が行なわれ、製造販売が中止されて姿を消していきました。

新しい世代の農薬が登場

これらに代わる農薬として、安全性の向上を目指した、カーバメート系、合成ピレスロイド系やネオニコチノイド系の殺虫剤、抗生物質、ベンゾイミダゾール系や担子菌(きのこ類)が産生する天然の抗糸状菌性物質をリード化合物としたストロビルリン系の殺菌剤、トリアジン系やスルホニルウレア系の除草剤の開発が加速しました。最近ではリアノジン受容体に作用する殺虫剤や、スルホニルウレア系除草剤に抵抗性を持った雑草にも効果があるような新しい作用機構を持つ薬剤や混合剤も開発されるようになってきました。また、少ない有効成分量で効果を示す薬剤が数多く出現しており、ドローンによるピンポイント農薬散布といった、さらに使用量を低減できる技術が確立されつつあります。現在使われている農薬は、世代交代が進み、いずれも安全性に配慮されたものになっています。

今後は化学農薬に限らず、農林水産省によるみどりの食料システム戦略に則り、RNA農薬、バイオスティミュラントといった対象病害虫・雑草以外には影響が少なく、また、環境への負荷や、残留性も低い技術の研究開発と普及を目指しています。

参考文献
*日本植物防疫協会『農薬概説』
*高橋信孝他『農薬の科学』1989、文永堂出版
*青樹簗一訳『生と死の妙薬』(レイチェル・カーソン著)1964、新潮社
*Rachel Carson “Silent Spring” 1962、 published by Houghton Mifflin
*農林水産省 「みどりの食料システム戦略」
https://www.maff.go.jp/j/kanbo/kankyo/seisaku/midori/

(2023年2月)