農薬情報局

防除の文明史

17.除草技術のあゆみ(5)2,4-Dの出現前後

20世紀の前半は、2回にわたる世界大戦の時代であった。その戦乱の渦中にあっても、欧米諸国では多分野の研究が遂行されていた。農薬では、第2次大戦 (1939~45)中に殺虫剤と除草剤の研究開発に大きな進展がみられた。今回は初の有機合成除草剤2,4-D(2,4-PA)の出現前後の事跡について 述べる。

プレ2,4-Dの時代
19世紀までの除草は、人力(手取り)・棒・鍬・耕耘機(畜力、機械)など、また化学物質では海塩が多年にわたり広く使用されてきた。
次いで、19世紀末から第2次大戦までの間、欧米において除草剤に使われた化合物は、硫酸・硫酸銅・硫酸第1鉄・石灰窒素・砒素化合物・塩素酸ナトリウム・ジニトロフェノールやクレゾールなどである。
ところで、2,4-Dの発見に至るまでには先駆的な業績が存在する。まず、進化論で知られるイギリスのC.ダーウィンは『植物における運動能力』 (1880)で、エンバクとクサヨシなどの植物では、「光屈性において幼葉鞘先端で光刺激を感受し、これが下部の成長部域に運ばれて、そこで屈曲を引き起 こす」と述べている。また、ドイツの植物生理学者J・ザックス(1865~87)は植物中の「化学的使者」が開花に関与することを発表した。
これらの現象に係わる生理活性物質は、植物ホルモンのインドール酢酸(IAA)と同定された(1933)。このIAAの発見と合成は、植物の生長に関する多くの情報をもたらした。
腰をかがめての草取り
腰をかがめての草取り
アメリカで開発、日本には戦後

このような流れのなかで2,4-Dが誕生したのである。これを年表で紹介する。

1941   アメリカのR・ポコーニィが2,4-Dを合成。
1942 アメリカのP.W.Z.チンマーマンらは2,4-Dが植物ホルモンであると発表。
1944 アメリカのP.C.マースらは2,4-Dが芝生の広葉雑草を枯殺する選択性をもつことを立証。
次いで、日本における2,4-Dの導入・開発の経緯を年表で示す。
1947   2,4-Dがアメリカより日本に紹介される。
1948 2,4-Dの水田稲作実用化試験。
1949 「2,4-Dと耕地雑草に関する研究」の発表会(農林省農事試験場)。全国的に2,4-Dの実用化試験(水田)を開始。
1950 2,4-Dの国産開始。水田用除草剤として全国的に普及開始。
こうして、2,4-Dは日本では水田用に、欧米では畑や非農耕地で多量に使用されるようになった。
2,4-Dの開発は、その後の有機合成新除草剤の続出のきっかけになったという意義が大きい。また、日本の水田での苛酷な手草取り(カット参照)からの解放と省力に多大の貢献をしたのである。