農薬情報局

防除の文明史

15.除草技術のあゆみ(3)古代ローマ時代

およそ1万年前、人間が農業を始めて以来、耕地の雑草には悩まされ続けてきた。その間、古来いろいろな雑草対策が案出され実施されつつ今日に至っている。今回は古代ローマ時代の雑草と除草法について述べることにしたい。

ウェルギリウス『農耕詩』
ローマの詩人ウェルギリウス(前70~前19)はその『農耕詩』で、当時の農事を詩に託して伝えている。それで本書は古代ローマの農業技術を知る上で、貴重な史料ということができる。とくに第4巻蜜蜂は養蜂技術について詳しい。
 第1巻穀物では、雑草と除草法に関連して以下のようにうたっている。「・・・豊穣の女神(ケレース)が最初に人間に、犂(すき)で大地を掘り返すことを 教えた。だが、まもなく、小麦にも災難が来た。・・・畑には無用の薊(あざみ)がはびこった。作物は死に絶え、そのかわりに、八重葎(やえむぐら)や菱な どの棘だらけの薮が茂り、光り輝く耕地のあいだに、役立たずの毒麦と貧弱な烏麦(からすむぎ)が勢力をふるう。故に、もし、農夫よ、たえず熊手をふるって 雑草を根絶やしにし、鳥を脅かして追い払い、大鎌で枝を払って暗い土地の影をなくし・・・」(河津千代訳、1981年)このなかに出てくる「毒麦」はとり わけ麦畑につきまとう雑草なので、当時はせっかく麦の種子をまいても、湿地では毒麦に変わってしまうものと信じられていた。また、「無用の薊」はヒレアザ ミ類のことであろう(カットはP.マッティオーリ、1554より)。
ヒレアザミ類
ヒレアザミ類
オリーブの実から農薬
当時の除草法は、手で引き抜く、鍬でたがやす、熊手でかき取る、杖でなぎ払うなどしていたといわれる。また、穀物の収穫のあとには、その刈り株を焼く習慣があった。これは焼き畑と同様に雑草を除去するのにも役立ったものと思う。
木を枯らすのには、ルピナスの花を1日間漬けておいたドクニンジンの汁やオリーブ油などを木の根に灌注する方法がとられた。このドクニンジンは人畜にも 毒性が強くて、ギリシアの哲学者ソクラテス(前470~前399)が処刑のとき飲まされた毒薬も、その煎汁であったとされる。
またそのころの主要な農薬にアムルカというのがあった。これはオリーブの実からしぼった液体を原料にしてつくられたもので、病害虫や雑草の防除に使用された。
塩や海水が植物を枯らすことは古代から知られていた。それで戦争のときなどは敵の畑地に多量の塩をすき込んで、作物ができないようにしたのである。紀元 前146年にローマ人がカルタゴを侵略した時も、この方法がとられたという。同様に塩(海塩)は除草の目的でも使われていた。
以上のように、古代の除草は人力と天然物に依存していたのである。