農薬情報局

防除の文明史

13.除草技術のあゆみ(1)日本:江戸時代

いわゆる「雑草」という語の定義は各人各様であり、これぞという定説はない。それは、人間との利害関係からくるもの、あるいは生態学的立場からのものな ど、論者の視点によって異なるからである。とりあえず最大公約数的には、「望まれないところに生える(草本)植物」といったところであろうか。ちなみに、 この「雑草」という日本語が初めて書かれた本は、小西篤好の『農業余話』上巻(1828)である。

除草しないと罪人扱い
よく「農業は雑草との闘い」であるといわれる。日本列島は地形が南北に細長く、また温暖多湿だから、雑草の種類も多く繁茂しやすい。それで、江戸農書にも「除草」についての記述が少なくない。
たとえば、宮崎安貞の大著『農業全書』巻之一(1697)には、「上の農人は草のいまだ目に見えざるに中うちし芸(くさぎ)り、中の農人は見えて後芸る也。みえて後も芸らざるを下の農人とする。是土地の咎人(とがにん)なり」と述べている。
また、日本最古の農書、土居水也著といわれる『清良記』第七巻(1629-1654ごろ成立か)には、雑草は肥料として田畑にすき込むベきもので、それ を怠ける下農を「悪魔外道也」と極め付けている。すなわちこれらの例のように、かつては雑草への対応如何よっては、“村八分”にされかねなかったのである。
小西篤好『農業余話』(1828)より
小西篤好『農業余話』(1828)より
傍線は筆者
雑草への対策
この『清良記』には、苗の植え付けから20日後に2人、その20日後に2人、さらに20日後に1人、計5人が草取りに必要なことを述べている。また同書には「田を植えて十日の間、水を能(よく)持ちぬれば草ははえず」とある。
佐瀬与次右衛門の『会津農書』(1684)には、田に雑草が多いところでは、ときどき水田を畑地に転換することを奨めている。この転作法は発想としては評価できるが、水田への復活には多大の労力と時間を要することであろう。
江戸時代の除草方法は主に手取であったが、鍬で中耕除草をおこない、その鍬も小型化するともに鉄製の小熊手(雁爪、蟹爪など)が現れてきた(大蔵永常『農具便利論』中巻、1822)。畑用には水田用よりも小型の除草用鍬が使用された。
ところで、江戸時代の“除草剤”には次のようなものがあった。マツバイには麦の糠を施用し、スギナの出る畑には麻を植え、セリには苦汁(にがり)をそそぐ。ヒルムシロには鶏や蚕の糞を使用したという。ただし、これらの薬効の有無については定かではない。