農薬情報局

防除の文明史

11.微生物殺虫剤 BT今昔物語り

昆虫も病気にかかるという現象は、洋の東西を問わず遠く紀元前から知られていた。はるかくだってイギリスのW.カービーらは『昆虫学入門』第4巻 (1826)に、昆虫の病気について36頁にわたり書いている。イタリアのA.バッシ(1836)はカイコの白きょう病菌(かび)にヒントを得て、病原菌 の害虫防除への利用を示唆した。

日本人が先駆者
日本はかつて養蚕大国であったから、カイコの病気に関する研究も明治維新以来さかんにおこなわれた。当時、京都蚕業講習所技師の石渡繁胤(いしわたしげた ね)はカイコ(幼虫)から病原性の強い桿菌を発見した(1901)。そして、これを「卒倒病菌」と呼んだが、正規の学名(ラテン語)はつけなかった。その 弟子・岩渕洋介は『通俗蚕体病理学』(1908)で、この菌の学名をバチルス・ソットー・イシワタ(Bacillus sotto Ishiwata)と表記した。
一方、ドイツのE.ベルリナー(1911)はスジコナマダラメイガ(幼虫)から寄生菌を分離し、これにバチルス・チューリンゲンシス(B. thuringiensis)と命名した(1915)。この学名が今日の微生物殺虫剤「BT」剤の由来である。上記の石渡の卒倒病菌は後者の同種として扱われている。
石渡繁胤(1868-1941) 石川金太郎、1936より
石渡繁胤(1868-1941)
石川金太郎、1936より
BT剤への道のり
ところで、フランスのパストゥール研究所のS.メタルニコフ(1938)はBT剤を殺虫剤「スポレイン」として販売に着手したが、まもなく中止した。これは、使用法が誤っていたためといわれる。
その後1960年になり、米国農務省はBT剤を農薬として登録した。日本では1981年にBT剤(水和剤)が農薬登録されて以来、現在は30銘柄が登録 されている。その有効成分にはBT菌の産生する結晶性毒素、またはその生菌、あるいはその両方の混合などがある。
適用害虫は、いずれも鱗翅目(チョウ、ガ類)幼虫であり、カイコにも有害である。それで、日本では養蚕地帯周辺での使用は制約される。
殺虫の仕組み
BT剤はチョウ・ガ類の幼虫が食餌植物の茎葉とともに摂食すると、中腸のアルカリ条件下で可溶化されたのち、たんぱく分解酵素の作用により殺虫活性のあるたんぱくができる。その虫は食餌の消化吸収が不能になり死にいたる。ターゲット以外の昆虫ほか人畜などには無害である。
日本では養蚕上の病原菌としてその防止に努めたが、欧米では同種病原菌の害虫防除への利用をはかって商品化に成功し、日本にも輸出している。