農薬情報局

防除の文明史

8.ウンカをめぐって

ウンカ類は日本列島で稲作が始められて以来、今日まで常に最悪の害虫であり続けたものと推察される。

ウンカという名称
江戸農書には、よく「蝗」がでてくる。これはイナムシまたはオオネムシ(大稲虫の約)と訓じ、稲作害虫の総称であったが、実態としてはウンカ類を指す場合 が多い。それで蝗をイナゴと読ませるのは適当でない。中国では、蝗はバッタ(トノサマバッタ、飛蝗)のことである。なお、『聖書』の邦訳で「いなご」とし ているのは、すべて「ばった」の誤訳である。
さて、それではウンカの語源は何であろうか。諸説があるが、微小な体で群がるのでヌカムシ(糠虫)やコヌカムシ(小糠虫、粉糠虫)と呼んだのが転訛(て んか)したものと思う。日本でウンカに浮塵子を当てはめるのは誤用であり、中国では飛虱という。この飛虱は、日本ではケジラミのことである。そのいわれ は、「色男何処(どこ)でしよつたか飛び虱」(『末摘花』一)から推察されたい。
以上のように、「虫」の目でウルサイことをいわせてもらうと、いろいろなボロもでてくる。
大蔵永常『除蝗録 全』(1826)
大蔵永常『除蝗録 全』(1826)
神頼みから注油駆除へ
ウンカなどが大発生すると人力では如何ともしがたいので、16世紀初めごろから「虫送り」がおこなわれ、害虫の退散や鎮静を集団で神仏に祈ったのである。 この虫送りは、虫追い、実盛(さねもり)送りともいい、江戸期を通じて広くおこなわれた。今日でも年中行事や観光行事として、一部の地方に伝承されてい る。
一方、ウンカ類にたいしては、鯨油(げいゆ)を水面に注ぎ、その油膜で虫体を包んで動けないようにするとともに気門をふさいで窒息させる方法が発見され た。最も古い年代は1670年で、その後も「発見」が続くが、いずれも筑前国(福岡県北西部)での事蹟である。この鯨油は、場所や時に応じて菜種油や芥子 (からし)油、その他の動植物油で代用されることもあった。
享保17年(1732)西日本でウンカが大発生により飢饉がおこり、百万人近くもの餓死者がでたという(『徳川実紀』)。それ以来、幕府はウンカが大発 生すると各地の代官にたいし鯨油による注油駆除を布達した。つまり、鯨油は幕府お墨付きの唯一の農薬だったのである。この注油法は、明治維新後、鯨油が石 油に変わったが、敗戦後まもなく有機合成殺虫剤DDTやBHCが登場するまで、約280年間にわたり不可欠のウンカ防除技術として主食の生産に多大の貢献 を果たしてきた。