農薬情報局

防除の文明史

7.たかが蚊・されど蚊

蚊は「かむ」や「かゆい」などに由来するともいわれる。汎称とはいえ、たった1字の生物名は珍しい。蚊に刺されるとかゆい上に、19世紀末、マラリアが蚊 (ハマダラカ)により媒介されることが究明されてからは、黄熱・デング熱や日本脳炎などの感染も蚊のしわざであることが次々と明らかになった。それで、蚊 の防除法も古い時代からいろいろと工夫され、より有効な方法へと変遷してきている。

燻煙から蚊帳まで
まず、蚊は煙を嫌うから、人類は穴居時代から生(なま)の植物をいぶして蚊を追い払っていたことであろう。つまり燻煙法である。現代の蚊取り線香もその延長線上にある。
この蚊取り線香は、いわば日本のお家芸で、明治中期以降、除虫菊のピレトリンを有効成分としたものであった。当初は棒状のものを、現行の渦巻き型に改良 してから燃焼時間が大幅に延長された(1本7時間余)。現在、東南アジアやアフリカなどにも輸出されている。成分は合成ピレトリン類が主流である。
次に蚊帳(かや)は物理的に蚊を人体からへだてるものである。すでに紀元前5世紀には、エジプトの漁民は夜になると投網を蚊帳として利用していた。
古代ギリシアでは、亜麻糸・毛糸や絹糸でテント状の覆いをつくって天井から吊り下げた。この方式の蚊帳は、構造や素材は変わっても、洋の東西を問わず利用され、日本でも近年までは家庭の必需晶であった。
蚊帳と同じ類型に入るものに網戸がある。ドイツの金属製窓網が最初(1660年代)であり、1870年には米国で蚊やハエ用に大流行した。この金網は、今日では合成繊維製に替わっている。
蚊の顕微鏡図
蚊の顕微鏡図
R.フック『ミクログラファ』(1665)より
歴史を変えた蚊とその防除
古代ギリシアおよびローマではマラリアが蔓延して、国民は体力・気力ともに衰退し、ついに滅亡への道をたどったともいわれる。
はるかくだって19世紀末、フランスが中米のパナマ運河の開削に失敗したのは、マラリアや黄熱の流行によりおびただしい労務者が死亡したからである。そ の後、米国がその利権を譲り受け、蚊の各種防除法を実施して卓効を挙げた。幼虫やさなぎには、鉱油を発生源の水面に流し入れて窒息死させた。こうして大工 事は成功し、「顕微鏡がパナマ運河を開いた」と称賛されている。
また、先の太平洋戦争では、南方戦線の米軍はピレトリン(開戦前に日本から輸入した除虫菊が原料)のエアゾール缶を各兵士に配給した。一方、日本兵は蚊に対しては「丸腰」であったため、砲火による死傷者をマラリアによる病死者の数が上回ったという。
これらは、蚊という小さな虫が世界史を左右した好例であろう。