農薬情報局

防除の文明史

3.近世ヨーロッパ 神頼みからの脱却

14世紀半ばにヨーロッパ中に蔓延したペスト(黒死病)を「神威」により抑制できなかったことなどもあり、宗教(キリスト教など)への信仰心は低下した。ひいては、害虫の宗教的防除への信頼度も下降することになる。

「実用的」な手法
そのような時勢を反映してノルドハウゼン(ドイツ東部)の聖職者F.C.レッサーは、『昆虫の神学』(1738)という非宗教的害虫書を著した。そして、従来のような祈祷や破門など「神頼み」による防除法を排して、より「実用的」な手法を推奨した。この本は当時、類書がなかったので独語から仏・伊・英語にも訳されて広く読まれた。
ただし、その技術は素朴なものであった。一例を示す。木灰にハトやヤギの糞を混ぜて地面にまくと、害虫の卵や幼虫を殺す。果樹の害虫にたいしては早春の枝切りをすすめる。毛虫やアリなどが木に這い登るのを防ぐため、根際に石灰をまいたり、幹ににかわや樹脂をぬったり、羊毛や綿を巻きつけたりする。
その当時、フランスのド・レオミュールは大著『昆虫誌論集』全6巻(1734-42)に、昆虫の生態についても集大成している。けれども、これらの知見が害虫の防除に直接利用されることは、ほとんどなかった。ただし、「近代生物分類学の父」として周知されるスウェーデンのC.リネー*(1707-78)は、このレオミュールの説をとり入れ、捕食性や寄生性の昆虫を利用する生物的防除法を試みている。
飛蝗の群飛
飛蝗の群飛
飛蝗(ひごう)には「処置なし」
その後、フランスのP.-J.ビュショは『人間と家畜、農園芸の害虫誌』(1781)を著した。参考までに、そのなかから各種害虫にたいする「殺虫剤」をひろって列挙する。
石けん水、石灰、石灰水、煤(すす)、ハノレタデの葉+ニンニク+塩の煎汁、タバコ、セージ、ヤナギハッカ、ニガヨモギなどの煎汁の散布、鯨油の灌注(かんちゅう)(アブラムシが寄生中の植物)、樹木への牛糞や硫黄と硝石の燻煙など。ちなみに、最悪の害虫一飛蝗(バッタ)については「処置なし」としている。
19世紀前半になると、ウィーンのV.ケラーは『農林園芸害虫書』(1837)を著した。この本もまだ害虫の「赤手(素手)捕殺法」が主体になっているが、他の数法を紹介する。灯火誘殺(推奨はせず)、耕起して地下害虫の鳥による捕食、おとり植物によるニンシンヘのガの産卵防止、幹に布などをまいて毛虫を誘殺したりする。
有力な殺虫剤が本格的に使用されて実効をあげるのは、19世紀後半になってからのことである。

*「リンネ」とも