農薬情報局

防除の文明史

2.中世:暗黒時代 宗教が主導

輝かしい文化を誇ったギリシア・ローマ時代も、5世紀後半の西ローマ帝国の滅亡とともに終わりを告げた。その後ヨーロッパでは文明の進展も停滞し、中世の暗黒時代に没入した。そして、防除法などもますます「神頼み」、すなわち宗教的色彩が濃くなったのである。

元凶はバッタ
この時代にもバッタ(飛蝗)が害虫の代表格であった。トノサマバッタ類はしばしば大発生し、長距離を群飛しながら緑という緑を暴食して凶作や飢饉をもたらすからである。
当時は宗教(とくにキリスト教)が日常生活に広く深くかかわっていたので、教会(聖職者)が害虫防除の分野でも重要な役割をはたしていた。
たとえば西暦666年、プロイセン(ドイツ北部)の聖マグヌスは聖コロンバと共同で、飛蝗やその他の害虫を「破門」した。この破門という措置は、神の庇護を失うことになるのだから、生きとし生けるものにとっては苛酷な処罰であった。また875年、ドイツのライン川流域に飛蝗が大発生したとき、聖職者たちは隊を組んで現地におもむき、神霊を安置して害虫の鎮圧を祈願した、という記録がある。
一方、地中海のキプロス島では1411年、1人の聖職者が飛蝗の大群によって命を落としたという。まさに「害虫戦争」である。
スイス・ローザンヌでのコフキコガネヘの破門宣告(15世紀の古画)
スイス・ローザンヌでのコフキコガネヘの破門宣告(15世紀の古画)。
木の中ほどの枝の周りを飛ぶのがコフキコガネ。
円内の拡大図はコフキコガネ(Melolontha):体長20~30mm
動物裁判の興隆
ヨーロッパでは11世紀ごろから自然の征服が始まり、それに付随して動物裁判も興った。これにも聖職者が主役を演じている。この動物裁判は1120年、フランスのラン市で司教がブドウの毛虫と、野ネズミを破門したときのものが最初である。
それ以来、作物を荒らす、群れて不快である、鳴き声がうるさい、気味がわるいなど、人間本位の理由により多くの動物が裁判にかけられ、破門などを宣告されるようになった。その種類は、昆虫ではバッタ、ゾウムシ、コガネムシ、ハチ、アリ、チョウ、アブ、ハエ、青虫や毛虫など、その他の動物では、イルカ、ネズミ、モグラ、スズメ、ヘビ、ナメクジ、ミミズやヒルなど広範囲にわたる。
この裁判には人間の場合と同様、被告(動物)には弁護士がつけられ、判決までには所定の手続きを踏むようにして公正を期したのである。動物も出廷を命じられたが、最終的には被告欠席のまま破門の判決がくだされる場合が多かった。ただし、その前段階で祈祷、悪魔祓いの儀式(聖水散布、呪文)などがおこなわれたり、現場からの退去命令が発せられることもあった。
以上のような動物裁判は、まずフランスに興り、それからヨーロッパ各地に広がって18世紀前半まで続いたのである。